大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和37年(う)881号 判決

被告人 宇田川兼吉

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

但しこの裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

押収した飛出ナイフ一丁(昭和三十七年押第三三一号の一)はこれを没収する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

控訴趣意第一について

所論は、被告人の本件所為は正当防衛に該当するのにかかわらず、これを認めなかつた原判決には事実の誤認があるというのである。

そこで原判決をみてみると、原判決は弁護人の主張に対する判断の項の前段において、判示池上民男等が判示宇田川久子の生命身体を害し又はその貞操を犯そうとするような危険は全く認められず、被告人もかる危険ありと感じていなかつたことが明らかであるとして、原審弁護人の被告人の所為は久子の生命、身体、貞操に対する正当防衛行為である旨の主張を排斥しているのであるが、この部分は記録に徴し十分肯認するに足り当審における事実取調の結果によつてもこれを左右することはできない。

続いて原判決はその後段において、原審弁護人の被告人自身に対する侵害の防衛行為であるとの主張につき、挙示の証拠によれば、被告人は久子がからかわれたことを不快に思い、かなり強い語調で池上民男を問詰し、同人より顔面を殴打されるやこれを突き返し、これがため愚連隊風の同人等がいきり立つて喧嘩を挑んでくるのを相手に言い争いを続け、その間同人等よりほとんど一方的に攻撃を受けたので、恐怖心を抱くに至つたが、なおも現場に停車中のタクシーや通行人或いは向い側の店舖等に救助を求めることなくこれに立向い、遂に兇器を振うに至つたことが認められるとし、これらの一連の行動から判断すれば、被告人は池上民男等の卑猥な振舞に対する反感から同人等には一歩も譲らぬ気構えでこれに応酬し、守勢ながらも相当の敵愾心をもつて立ち向い、いわゆる喧嘩斗争をなしたもので、本件犯行はその過程において相手に対し積極的な反撃に転じた行為と認めるのを相当とするから、弁護人の所論は採用できない旨説示している。しかし記録及び当審における事実取調の結果により、本件の経過、被告人及び被害者等の行動、当時の四囲の状況等を考察すると、原判決の右のような判断は当を得ないものといわざるを得ない。本件は、酒気を帯びた被害者等三名が通行中の女性をからかいながら原判決判示踏切前を通りかかり、右三名のうち池上民男が遮断機の開くのを待つていた前記久子の首に手を触れてからかおうとしたのに端を発し、近くにいた久子の養父である被告人が同女をかばいながら池上民男をたしなめたのに対し、同人がいきり立つて被告人の顔面を殴打したので、被告人も手を出して同人の額のあたりを突き返したところ、伊藤忠光、伊藤米夫の両名も被告人に迫つてきて、以後被告人は三名から原判決判示のような執拗な一方的攻撃を受け、たまりかねて判示ナイフを用い、被害者等に反撃して判示のような結果を生ぜしめたものであり、当初被告人が池上民男を突き返した行為につき、被告人は検察官に対し、つい何をという気持になつて空手の猫足の形で突いた旨供述しているが被告人とすればいきなり殴られたため憤慨して反動的動作に出たものともみられるのであつて、その後被告人がナイフを振うまで反撃的行為をしていないことにかんがみれば、被告人がすでに喧嘩斗争をする意思で右のような行為をしたものとは認め難く、また池上民男、伊藤忠光両名は、被告人が伊藤米夫に体当りされて転倒し起き上つてからの行動につき、伊藤米夫を押しながら殴り合つて道路中央の方に移動したかの如く供述しているのであるが、事件の目撃者である松村正信、富岡明、石井信行、佐野紀男等は捜査官に対し又は証人として、いずれも被告人が後ずさりしながら又は逃げるように移動したとの趣旨の供述をしており、彼此対照すれば前記両名の供述は到底信用しがたく、さらに右目撃者の供述によれば、その間被告人は手足を動かして防禦的動作をしたことがあつても、三名から一方的攻撃を受け袋叩きの状態にあつたというのであるから、被告人が最後にナイフを振つてこれに応じた行為は、三名の急迫不正の侵害行為に対し自己の権利を防衛するためのものであつたといわなければならない。原判決は被告人が停車中のタクシー通行人、附近の店舖等に救助を求めることなく立ち向つたというけれども、被告人が三名から攻撃を受けている間に、久子に対し警察への急報電話番号である百十番を呼べと叫んでいることは記録上明らかであり、前記松村正信、富岡明は当審における証人として、加勢してうつかり手を出すと危険な状態であるようにみえたとか、渦中に巻き込まれて傷等負つてはつまらないと思い助けようとしなかつた、それほどすさまじいものであつたとか供述しており、そのほか記録により窺われる傍観者の態度、四囲の状況からみても、被告人がナイフを振つたのはまた已むを得なかつたものと認むべきである。従つて原判決が前記のような理由で正当防衛の主張を排斥したのは、事実の誤認というほかない。しかしながら、前記三名は被告人に対しサンダル又は素手で暴行を加えたのに過ぎないのに対し、被告人は鋭利な飛出ナイフを振い、三名の左胸部又は右胸部を突き刺し一名を間もなく死亡せしめ、二名に原判決判示のような重傷を与えているのであつて、このような被告人の所為は防衛の程度を越えたものと認めるのが相当であり、論旨はこの限度で理由がある。

同第二について

所論は原判決の量刑不当を主張するのであるが、叙上のように被告人の本件所為は過剰防衛行為と認められ、その他記録及び当審における事実取調の結果により窺われる一切の情状を考慮すると、原判決の刑の量定は重きに失し、これを変更するのが相当であると考えられるから、この点の論旨も理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三百九十七条第一項により原判決を破棄した上、同法第四百条但書に従い更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三十六年十月十六日夜養女宇田川久子(当時十三歳)を伴い東京都内国鉄池袋駅西口附近で買物をして帰宅する途中、同日午後八時五十分頃同都豊島区池袋一丁目六百三十一番地国鉄鎌倉第二踏切(通称池袋大踏切)前で遮断機が開くのを待つていたところ、酒気を帯びた伊藤米夫(当時二十五歳)、その弟伊藤忠光(当時二十二歳)及び池上民男(当時十七歳)の三名が通行中の女性をからかいながら通りかかり、その際民男が久子に「よおー」と声をかけその首のあたりに手を触れてからかおうとしたので、久子を傍に引き寄せてかばうとともに、民男に対し「私の娘だ、手を出すな」とたしなめたのであるが、これにいきりたつた同人が被告人の顔面を殴打したので同人の顎のあたりを突き返したところ、この様子をみた忠光が民男が被告人に暴行されたものと早合点して「俺達は三人組だ」等といつて迫つてきたので、踏切横の柵のあたりまで後退しながら両名といい争つているうち、突然前方から米夫が激しく体当りしてきたため後の柵にはね飛ばれてその場に転倒し、起き上つて後ずさりに道路中央に移動したところ、右三名はなおも執拗に被告人に襲いかかり、或いはサンダルで殴りかかり或いは蹴りつける等の攻撃を加えてくるので、ズボンのポケツトに刃渡五糎位の飛出ナイフ(昭和三十七年押第三三一号の一)があつたのを思い出し、右三名の急迫不正の侵害に対し自己の権利を防衛するため、右ナイフをポケツトから取り出して右手に持ち、これを振つて、飛びかかつてきた米夫の左胸部を突き刺し、次いで襲いかかつてきた忠光の左胸部を突き刺し、さらに殴りかかつてきた民男の右胸部を突き刺し、その結果米夫に対し心臓左心室に達する左胸部刺創の傷害を負わせ、同人をして間もなく附近路上で右刺創に基く失血のため死亡するに至らしめ、忠光に対し入院十日間位休養三週間位を要した左胸部刺創、民男に対し入院十九日間休養一ヶ月位を要した右胸部刺創、右胸腔内出血の各傷害を負わせたものであつて、被告人の右所為は防衛の程度を超えたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為中傷害致死の点は刑法第二百五条第一項に各傷害の点はいずれも同法第二百四条罰金等臨時措置法第二条第三条に当るので、各傷害については所定刑中懲役刑を選択し以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条第十条により最も重い傷害致死の罪の刑に同法第十四条の制限内で法定の加重をなし、その刑期範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法第二十五条第一項を適用してこの裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、押収した飛出ナイフ一丁(昭和三十七年押第三三一号の一)は被告人が本件犯行の用に供したものであつて犯人以外の者に属しないから、同法第十九条第一項第二号第二項によりこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に従い全部被告人の負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 長谷川成二 関重夫 小林信次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例